舞台芸術関連のわたしの友人・知人に、群馬県出身で東京などで活動している女性アーチストがいます。そんな彼女たちの年末年始の実家への帰省に合わせて、2013年の正月3日に伊香保温泉のホテル轟の大広間で開催したのが『伊香保アバンギャルズ 初夢大博覧会』。“上州かかあ天下”の遺伝子を受け継いだ群馬出身の女性アーチストによるジャンルを横断したパフォーマンスは大好評でした。その彼女たちが再び集結し、すみだ川アートプロジェクト2013参加プログラムとして浅草の地にて上演したのが『伊香保アバンギャルズ 大江戸宵祭り』です。出演は、Abe "M" ARIA(ダンス)・鈴木優理子(コンテンポラリーダンス)・なんばしすたーず(演劇)・根岸由季(ダンス)・三木須弥子(バリ島古典舞踊)・ラブリー恩田(クラウン)に、正月に同じくスペシャルゲストの石坂亥士と山賀ざくろのセッションが加わりました。〈正月に参加した今貂子(舞踏)は不参加〉。すみだ川アートプロジェクト2013のテーマである「江戸を遊ぶ:鶴屋南北」にちなんで、芝居小屋の空間に生まれ変わったアサヒ・アートスクエアを会場に、満月前夜に颯爽と現れた永遠のギャルたち《今後の活躍が期待される若手女子から、達観の域に近づきつつあるベテラン女史まで》による宵の宴をお楽しみいただきました。
2013年10月にグランドオープンを迎えるアーツ前橋のプレイベントとして「WALK あるくことから はじまること」が3月23日(土)・24日(日)の両日開催されました。いろいろな展示やワークショップなどとともに、総勢約130名の出演者による約90分のパフォーマンス『音楽+ダンス+演劇の時間』が上演されました。わたしはこのパフォーマンスのコンセプトデザインと主な出演者のキャスティング、及び総合演出を担当させていただきました。朗読劇の作・演出を小出和彦、出演は水谷晃(群馬交響楽団コンサートマスター:当時)、市立前橋高校吹奏楽部、石坂亥士(打楽器奏者)、ほうほう堂(ダンスデュオ)、鈴木優理子(ダンサー)、山賀ざくろ、前橋市近郊在住の幼児と小中学生、成人の演劇人有志。1階のギャラリーでの市立前橋高校吹奏楽部員によるファンファーレに続き、地下のギャラリーのあちこちで楽器の演奏やダンスや朗読劇などのパフォーマンスが同時多発的に行なわれ、来場者の方には館内を自由に歩き回りながら鑑賞していただきました。最後はバイオリンの独奏、そしてアーツ前橋の外での吹奏楽の演奏でパフォーマンスは締めくくられました。出演者も来場者も、ここに集った人々が共に過ごした体験や記憶が、ひとりひとりのみんなのこととして、アーツ前橋から街へ、現在から未来へと、つながっていくことを願っています。
すみだ川アートプロジェクト2012参加プログラムとして、現代美術家・映像作家の泉太郎と久々にコンビを組んで、どうなっちゃうかわからない本番一発勝負の実験的な約2時間のパフォーマンスを行ないました。この年のプロジェクトテーマは~江戸を遊ぶ:北斎漫画2089~。『北斎漫画』には人物や風俗、動植物、妖怪変化まで約4,000の図が描かれています。北斎漫画をちょっと調べてみた泉くんは、思ってたより資料的で、世の中全体の資料集みたいな感じがして、現代的な資料といえるようなものを手がかりに作るのはどうか、タイトルとしては「セミナー」というのはどうかと提案してくれました。泉くんが考えたアイデアで、携帯電話で泉くんが実況中継した状況をわたしがダンスの動きに置き換える。複数のビデオカメラで撮影した映像を重ねて、わたしや観客が小人になってしまうような、そんな不思議の国のアリスの世界みたいな映像をスクリーンに映す出す。泉くんがホワイトボードに書き出したキーワードから検索エンジンでヒットした人物写真をネタに、わたしが生まれてからの人生の歩みをフィクションとノンフィクションを混ぜこぜにして語る。などのパフォーマンスが生まれました。
わたしは2011年より「ダンスでおじゃまします!!」という企画を始めました。これは合唱団や器楽演奏グループなどの練習におじゃまして、みなさんの演奏に合わせて即興で踊るプロジェクトです。このことを聞きつけた神戸のダンスボックスのディレクターの横堀さんからお招きいただき、「神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル #2」の企画のひとつとして、地元の真陽まちづくり協議会の方々で構成された男性合唱団のみなさんの歌唱で踊りました。関西気質の明るく元気でノリがいい40~60歳代の太っ腹(実際にお腹が出てる)の町内のおじちゃんって感じの方々でした(ひとりの方はダイエットでスリムになってしまっておりましたが)。そんなみなさんがキャンディーズ、山口百恵、石川さゆり、中島みゆき、美空ひばりというぐあいに、昭和の時代に活躍した女性歌手の名曲の数々を、キーが高くて歌えない!とかヒーヒー言いながらも、中年男性の落ち着いた艶のある声で歌い上げてくださいました。わたしも曲によっては久しぶりに女子高生に変身したりして、なつかしの昭和歌謡の世界にどっぷり浸かって踊らせていただきました。
ビッグ腹ダイス同様に「神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル #2」の企画のひとつとして、地元の真陽地区と丸山地区の婦人会コーラス部のみなさんの歌唱で踊りました。『かあさんの歌』『どこかで春が』『ずいずいずっころばし』『荒城の月』『故郷』などの童謡や唱歌がメドレーで全17曲。みなさんの優しい歌声に耳を傾けると、子供のころの自分に帰ったような、懐かしい四季折々の風景やその中での人々の営みを思い描くことができ、とても穏やかな心持ちで踊ることができました。シーンごとにみなさんの立ち位置を変えてもらい、みなさんのすぐ近くで踊ったりすると、ある方はドキっとしたり、またある方はニコっと微笑み返してくれたり、そういうやりとりも楽しかったです。わたしは2002年のJCDN踊りに行くぜ!!大阪公演で県外でのソロデビューをしました。会場のArt Theater dBは当時、通天閣南西300mの複合娯楽施設フェスティバルゲート内にあり、舞台上で踊っていると、無音のシーンではジェットコースターのゴゴゴゴゴーーーーという音や、プロレスのリングアナのあの独特なアナウンスが聞こえてきたりしました。あれからちょうど10年、場所は新長田に移転しましたが、再びArt Theater dBで踊れ、当時からスタッフを続けてらっしゃる方々にも観ていただけて感慨深かったです。
「神戸アジアコンテンポラリーダンスフェスティバル #2」の前夜祭として開催された「love songs in kobe」で上演しました。この企画は、神戸の新長田で踊る人々を交え、様々な国籍とバックグラウンドを持つダンサー達が自ら選んだラブソングで踊るショーケーススタイルの公演で、関東と関西で活動中の南弓子のディレクションによるものです。わたしは既存のラブソングを楽曲としては使わずに、自分が発する声をラブソングに見立て、声もダンスもその場の即興で歌い踊りました。特に意味のある言葉、ないしは日本語を発していたわけではありませんが、どことなくアジアの原初的な愛の言葉を異性に投げかけるようなイメージを持ちつつ、身体から声を絞り出すような発声を試みてみました。はたしてそれが観客のみなさんにはラブソングとして届いたかどうか? 終演後にちゃんと確かめていないので定かではありませんが、心と身体のバイブレーションをダンスの動きだけでなく、さらに声に乗せて届けることで、伝えたいことがより深く伝わるように思いました。そう言えば2002年にArt Theater dBで上演した『えんがちょ』も愛についてが作品のテーマの一部でした。10年を経て「年を重ねて味が出てきたね」とのお言葉をありがたく頂戴いたしました。
すみだ川アートプロジェクト2011参加プログラムとして上演された作品です。狂歌師として名をはせた大田南畝〈Ota Nanpo〉をお手本に、隅田川あたりで遊ぼうじゃないかという「江戸を遊ぶ」数々の企画のひとつとしてダンス公演をさせていただきました。コンポラダンス界のゴッドマザーとして泣く子もだまる黒沢美香女史とのデュオ作品です。黒沢さんとは2008年と2009年の「手塚夏子企画/道場破り」でごいっしょさせていただき、短いデュオを踊るなど、お互いのダンスの手法を交換する機会がありました。そのときから機会があればちゃんとしたデュオ作品をやってみたいと思っていたのでした。タイトルの沙羅等(しゃらら)は沙羅双樹の花にちなんで付けました。朝に白い花を咲かせ、夕べには散ってしまう。その散り方は、花びらを散らさず、花がポトンと地面に落ちるのだとか。はかなくも潔い散り方は二度とない一瞬を踊るダンスのようです。黒沢さんとわたしは着物姿で会場内に設置された江戸時代を模した三つのお座敷を行き来し、お互いを感じながら一瞬一瞬を、時に繊細に時に大胆に舞い踊りました。ふたりが直接触れ合うことはありませんでしたが、「強烈な接触が、関わり合いがそこにはあった」「小津安二郎の映画を観ているようだった」とのご感想もいただきました。
山賀ざくろが振付・演出し、小暮香帆が踊ったソロダンス作品です。上演当時、小暮さんは大学の3年生。蒼井優の演技みたいなダンス作品がつくりたいんですよって小暮さんに話したら、わたし蒼井優がいちばん好きな女優さんなんですよって乗り気になってくれて、それじゃあやろうやろうということで、2回目の稽古のときに『百万円と苦虫女』で笹野高史がマイクで話すときの手の動きを小暮さんがマネしてやったのがおかしくて、次の稽古のときにわたしに『ハチミツとクローバー』のDVDを持ってきてくれることになっていて……。そんなふうにリハーサルは始まりました。わたしから小暮さんに生い立ちのことや日常生活のことなどいろいろ質問して、その中から作品の中で話す言葉や動きを紡いで、等身大の女子大生としての現実と映画の中のヒロインとしてのファンタジーが混ざり合ったようなセミ・ドキュメンタリー風な作品になりました。30分間のソロ作品は小暮さんにとっては初めての経験だったようで、それだけの長い時間舞台上にひとりで居続けるだけでもたいへんだったと思いますが、前年の11月からの週1~2回ペースでやった約30回のリハーサルに粘り強く取り組んでくれたことで、本番では安心して舞台に送り出すことができました。
加藤カズジ(ギター)と酒井ヒロシ(ベース)のサウンドユニット「ZeroStone」とのコラボレーションライブとして上演いたしました。会場の夢スタジオは、1997年にわたしが「山賀ざくろ」として初めてソロ作品『その後の星の王子さま』を発表した場所です。それ以来となる同会場での上演であり、前橋で自主公演をするのも10年ぶりでした。県内在住の加藤さんと酒井さんはわたしよりひとつ年上でおふたりは高校の同級生。加藤さんとはわたしが20代の頃に知り合ってから、ここ10数年は年に一度の年賀状のやり取りをするのみで、近況を報告し合うだけのお付き合いでしたが、いよいよ何かいっしょにやってみましょう!ということになり、当初は、わたしのダンスと加藤さんのクラシックギターとのデュオを考えていましたが、加藤さんの提案で酒井さんに加わってもらいエレキサウンドでどか〜んと行こう!!ということに落ち着きました。リハーサルでは即興でのやりとりを繰り返し、おふたりにオリジナルの楽曲をアレンジしてもらいながら全体の構成を決めていきました。ジャズ〜ロック〜ブルース〜演歌などに曲調が変わる中わたしは、宇宙人〜女子高生〜福山雅治〜ウルトラマン〜蝉〜歌舞伎町の女王などのキャラ遊びに興じて、歌い、踊り、しゃべりまくったのでした。
群馬県立近代美術館(高崎市)でのイベント「美術館アートまつり」のスペシャルプログラムとして、館内の展示室やエントランスホールの内外でダンスパフォーマンス「山賀ざくろ 美術館で踊る!!」をいたしました。展示室では、段ボールで手作りした額縁で子どもや親子連れの来場者といろんなポーズで写真を撮ったりして遊びました(その写真は肖像権の都合で未掲載)。エントランスホールでは、まずは大きなガラスに外側からガラスクリーナーで人の顔や数字を描いてそのかたちをまねるパフォーマンスをしました。中にいた子どもたちは、あやしい動きをするわたしにきょとんとした顔をする子もいましたし、おもしろがってわたしの動きを真似してみる子もいました。その後、2階の入口から入って、エントランスホールに向かって巨大な目の写真などを袋状にしたものを頭にかぶってマイム的なパフォーマンスをしました。続いて階下のエントランスホールでは、常設展示の彫刻と同じポーズをとってしばらくじっとしていると、子どもたちが近づいてきて同じポーズを真似したり、いっしょにダンスを踊ったりました。その後は音楽を流してひとしきり即興で踊り、最後は2階から落ちてきた風船を子どもたちと一緒になって追いかけ回しました。子どもたちがただ走り回る姿はダンスを踊っているかのようでとてもいきいきとしていました。
2007年12月、「グルーブ感溢れる身体表現」をキーワードに、ダンス、音楽、演劇、現代美術、お笑いのアーチストが集結した「HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)」(キュレーター:桜井圭介)。この企画の出演者の一組として、現代美術家・映像作家の泉太郎と共に創作した作品です。泉くんとは、同年3月にわたしが上演した『卒業』を、ある美術批評家の方のお誘いでいっしょに観にきてくれたのが初対面でした。その頃からわたしと泉くんの作品性などにおける何がしかの共通性に興味を持ってくださる方が何人かいらっしゃいました。そんなこともあって、ふたりで何かやってみてという桜井氏からのリクエストがあり、泉くんの過去の映像作品(ビデオ編集したテレビ番組の映像をテレビモニターに映して、その画面に泉くんが黒いマジックペンで落書きのように描いては消す行為を何度も繰り返す)の手法でやることになりました。<舞台上で踊っているわたしをビデオカメラで撮影し、その映像を映したモニター画面に泉くんが落書きをする。その様子をもう一台のビデオカメラで撮影して、舞台上のホリゾンドのスクリーンに投影する。> 踊っているわたしは泉くんが何を描いているかはわからないのですが、その描いている線といっしょにダンスしているような感覚がありました。作品の最後には幽体離脱した?天使のよなものがほくそ笑んでる姿がスクリーンに映し出されて終わります。
東京世田谷の閑静な住宅街にある一軒家の玄関を入ると、そのすぐ奥に半地下仕様になっているのStudio GOOがあります。そこを会場に世の中の卒業モードにこっそりと便乗して行なった自主公演です。『えんがちょ』で全国デビュー以後の、良くも悪くも〝ダメ男が踊る敗者のダンス〟という評価に違和感があり、女子高生に扮して踊る『ヘルタースケルター』も創作しましたが、〈ダメ男〉も〈女子高生〉も卒業して別のところへ行きたいとの思いで創作に着手した作品です。その思いと小6のときに好きになった転校生のN子ちゃんとのエピソードを綴った文章を『卒業』の公演チラシに掲載してありますのでご一読ください。作品の冒頭の10分ほどをギターの弾き語りで、山本リンダ、吉田拓郎、松本伊代、スガシカオ、森進一などの歌謡曲やポップスをメドレーで8曲歌いました。中学生の時にギターを独学で始めましたが、たいして上達もせずに20代で弾かなくなっていました。人前で歌をうたう経験はしましたが、ついに人前でギターの弾き語りを披露することもなく、そのことにけりをつけたくもあり、新品のフォークギターを購入して20年数年ぶりにふたたびギターの練習を始めて公演に臨んだのでした。コント風のひとり芝居もやりました。もちろんダンスも踊り、やりたいことのすべてを詰め込みました。これで卒業できたかなと満足でした。終演後にご来場の方に色紙に寄せ書きをしてもらいましたが、アイカワさんには「留年かな? 悩まないコト!」と書かれてしまいました。
「STスポット ダンスシリーズ/ラボセレクション」に参加したときに創作した作品です。岡崎京子の同名タイトルの漫画から想を得て(ラストシーンの衝撃!あまりにカッコイイ!!)、〝変身〟をテーマに、スカートをはいて踊ることを思いつきました。初演時は知人の女性ダンサーの巻きスカートを貸してもらいましたが、翌年3月の吾妻橋ダンスクロッシングでの再演ではネット通販で女子高生仕様のスカートを購入、同年7月のトヨタコレオグラフィーアワアードでは、より舞台映えのするかわいらしい制服をとのアドバイスを受けて、EAST BOYでスカートとシャツとリボンを揃えました。写真ではその衣装の変遷をご覧いただけます。群馬県の高校ダンス部の合同発表会にゲスト出演したときには、約500名の現役女子高生の前で踊ったのですが、わたしの一挙手一投足に歓声や笑い声などの反応があり、こんなに受けちゃっていいのだろうかと困惑してしまいました。ただ、再演を重ねたこの作品でわたしがひたむきに踊る様は、多くの女子のみなさんの心に届いたらしく、いただいたお言葉の数々からわたしは逆に勇気をもらった気がします。初演時には、椎名林檎の《 ♪ やっつけ仕事》とピンクの照明が交じり合って、心と身体が女の子にスパークしたような瞬間があったのを今でも感覚的に憶えています。
「ダンスがみたい!7 ー批評家推薦シリーズー」に木村覚氏の推薦で参加したときに創作した作品です。チラシに掲載された推薦文で木村氏は〝北関東で溜め込んだ青春のリグレットを宅録(ラジカセ録音)風に振り付けた、ヌルい、ユルい、セツない間のダンスは、オッサンでありながら(であるからこそ!)、ポップかつリアル。そう、美術(会田、村上、奈良 etc.)や音楽(CKB etc.)ではポップなオッサン大活躍なのに、ダンス界では未だに「カッコイイ」か「お上手」じゃなきゃ受け入れられないのはいったい何故? 頑張れざくろ、そして裏切れ!〟とエールを送ってくださいました。作品タイトルは、最初に考えた『愛はスポーツ』から『愛の泉』に変わり、最終的には、頽廃に彩られた狂気の愛が官能的に描かれた1973年イタリア映画『愛の嵐』から拝借しました。目に見えない空想上の誰かさんに向かって、これでもかって愛を捧げるみたいなシャドゥ・ダンシング。ー愛のひとり遊びーの境地でありました。この作品では『えんがちょ』同様、昭和歌謡や70年代の洋楽に加え、初めて椎名林檎の曲《 ♪ 本能》を使いました。
「JCDN踊りに行くぜ!! vol.3 前橋公演」の地元出演者として一般公募枠で選出された作品です。自分で考えた作品のキャッチコピー〝女の子との愛についてはいつもついてない僕ですが、気分がルルルの日もたまにはあります〟は、わりと気に入ってます。 前橋→大阪→東京と巡回しましたが、自作自演のダンスを県外で踊るのは初めてでした。〝前橋におかしなオッサンダンサーがいる〟と、コンテンポラリーダンスシーンで多少認知されるきっかけとなった作品です。こんなことになるとは思いもしなかったので、賛否両論の渦の中で悲喜こもごもの精神状態であっぷあっぷになりながら、3箇所の巡回公演を乗り切りました。このときの前橋公演には、砂連尾理+寺田みさこ、丹野賢一、手塚夏子などのそうそうたるダンサーが出演し、歴史的建造物である臨江閣の各所で上演されたことでも業界関係者に注目されました。掲載写真は2003年1月にSTスポット横浜 ラボ20(キュレーター:山下残)で上演したときのものです。STスポットにはこのときが初登場で、こんなに小さな劇場で踊るのも初めてでした。アイーン!と伸ばした右手の指先からは、白い壁に囲われた部屋を突き抜けて、明るい未来へのスーパービームが飛び出していました。今思い返すとそれは錯覚だったのかもしれませんが。